イメトレで不安から逃げ出したい
表現者として
人前でパフォーマンスするとき、
なんとなく不安、ありませんか。
一生懸命、準備した。
自分も周りもそう思ってるんだけど
それでも一抹の不安がある。
いや、最終的には
「不安のない、静かで集中した状態」
になるのですが
それまでに、いろいろな山を
登ったり下りたりすることになる。
なので、
その「いろんな山を登ったり下りたり」
するのに疲れ果てたり
もしくは
どの山に登ってるのか
わからなくなったり
ただただ
山が険しくてどうしたもんかと悩んだり
いつまで山が続いてるんだろうと
溜息ついたり
あーあーもう、どうにでもなれ
と全てをぶん投げたくなったり
するわけです。
そして
・不安は自分が作っている
・不安の8割は起こらない
・不安は考えすぎから起こる
などと言われて
いやいや、
そんなこと言われても
不安なのよ、うまく行かないのよ、
どうしてくれるの、どうしたらいいの、
と、これまたループにハマるわけです。
で、なんとか不安から逃れる方法を
探すのですよね。
探さないとやってられん。
表現者の方に
一番馴染みのいいのは
イメージトレーニング、
略してイメトレかもしれません。
スポーツも表現の一つですから
スポーツ界ではイメトレ、
たくさん使われています。
いろんなやり方があって
パフォーマンスにフォーカスするもの
自分自身にフォーカスするもの
相手(音楽、対戦相手、舞台など)に
フォーカスするものなど様々。
このブログをお読みの方も
なさったことのある方は
相当数いらっしゃることと思います。
このイメトレは
本番前だけではなく練習の時にも有効、
いや、本当は練習の時こそ、
必要だと思っています。
不安から逃げるための道具では
ないのです。
「うまく本番を乗り切る」ために
使うのではないのです。
なぜか。
目的があるから表現になる
そもそも、表現というものは
目に見えません。
たとえば
「おはようございます」という言葉は
どこをどういじっても
おはようございます、
でしかありません。
ピアノのドの鍵盤を叩けば
誰が弾こうが、ドの音が鳴ります。
舞台の端から端まで歩いて、と言われて
そうやって歩けば、
間違ったことはしていません。
けれど
そのひとつひとつの動きが
ある目的のためになされた時、
初めてそこに「表現」が香り立ちます。
なんのために、なににむけて、
なにとつながって、なにをしたくて・・・と
考えることなしに、
表現が生まれないのは、そのせいです。
反対に、表現がいらなければ
不安はないんです。
おはようございます、と
念仏のように唱えればいい。
猫が鍵盤踏んでも一緒、
ドの音を押せばいい。
歩けって言うんだから歩きますよ、
でいい。
だけど、不安を生まないために
表現しないというわけには
いかないんです。
私たちは表現者だから。
それで人生を生きているんだもの。
道が見えないと
私たちが足がすくんで歩けないように
表現の方向が見えていないと
私たちは不安を抱えることになります。
その状態で
「良いパフォーマンス」のイメトレを
しても、実はなかなかうまく行きません。
だって道が見えないのに
イメージだけで道、作れますか?
それって思い込みですよね。
さて、本題。
イメトレは
呼吸と深く関係しています。
本題を書いたばかりだけど
長くなってきたので
次回に続く。
小さなヒント
パフォーマンスをするとき
何に向けて表現しているのですか。
お客さんですか。
もし、お客さんだとしたら
客席に誰もいなかったら
何に向けて表現しますか。

