こんにちは。
他人からの評価が欲しい
ということについて
お話しています。
表現は双方向
以前、
表現は一方方向ではなくて
双方向のものだと
お話しました。
そう聞いたとき、
どんな思いをなさいましたか。
いや、双方向と言っても
とにかく、
自分から何かを発しなければ
表現ではない、
そう思われた方が
ほとんどだと思います。
自分が何かを表現して
それを見たり、聴いたりしてくださる
お客様からの空気を感じて
それを身体に受けるんだから
一生懸命
良いものを発信しなければ
表現にはならない、
そう思っていらっしゃる方が
ほとんどだと思います。
でも、私の考えは
少し違うんです。
プラマイゼロの身体と心
いきなりですが
重力のお話。
地球には重力があって
立っているときには
その重力と反発する力が働いて
身体を立たせていることが
できますよね。
両足で立っているとき
前に傾こうとする力と
後ろに傾こうとする力、
同じだと
ちょうど真ん中に立っていられます。
左右も同じです。
ご自分を中心として
上下、左右、前後
拮抗する力のちょうど真ん中に
立っているのが
一番バランスが取れて安定しています。
プラマイゼロ、の位置ですね。
何かを動かそうとするとき
それと拮抗する力が働くと
安定の中に
最大のパワーの出力となります。
呼吸も同じです。
吐く息と吸う息のバランスが取れて
美しいゼロになったときに
一番のパワーになります。
吐いているけれど吸っているような
吸っているけれど吐いているような
そのような状態の身体のことです。
表現は戦いではない
表現は見た目は
アウトプットですが
それと同じぐらい、
内なる自分に向かうものがなくては
表現になりません。
単に外に押し出すのは
表現ではなくて
ごみをばらまいているのと一緒です。
そして
美しいゼロ地点にいるその姿を
観たり、聴いたりすることで
観客がそれに引き寄せられ
引き寄せられた分、
観客たちの心の中に
内なる自分の中に
戻っていく力が生まれる、
それが感動なのです。
わたしこんなにうまいのよ、
みてみて、すごいでしょう
こんなこともできるの、
ここまでがんばってやりました
と押し付けるのは表現ではないし
うまくいくかどうかわかりませんが
できたら聴いてください、観て下さい
まだまだお恥ずかしいのですが
精一杯やりますんでどうぞ、
うまくやろうと思わず楽しみます、
などと、自分と周りに言い訳しながら
行うのも表現ではないのです。
どうしてそういうことが
癖になっているかというと
人からの評価が欲しいからなんです。
うまいわねえ、さすがねえ、
という評価に始まる
「自分を肯定してくれる」意見が
欲しいからなんです。
一生懸命やったんだから
そりゃ褒めてもらえばうれしいです。
あったりまえなんです。
でも、それを意識すると
呼吸が違うリズムになります。
ほんの少しだけど、
プラマイゼロではなくなって
吐く息が強くなるんです。
これは動物の本能です。
外の世界を意識することは
危険を察知することですから
そのようなときに息を吸っていたら
やられてしまのです。
吐く息が強くなると
上半身、特に肩や首周りに
力が入ります。
腕も指も影響を受けます。
いつでも戦う準備になるからです。
表現は戦いではありません。
受け入れ、与えることです。
もし、ここをお読みの方で
無意識のうちに
表現することが戦いになっていらっしゃる
そんな方がいらしたら
表現は戦いではない
そう意識しなおしてみてください。
他人からの評価がほしいという気持ちが
少しずつ減って、楽になってくると
思います。
小さなヒント
自分よりスキルが上の人たちの中に
混じって表現をしなくてはならない時
何を考えてパフォーマンスしていますか。

