こんにちは。
表現について考えるときの
「気持ち」「感情」の言葉を
めぐるお話をしています。
「感情」と「気持ち」に揺れる私
私たちは
「感情」「気持ち」という言葉に
弱いです。
たとえば。
こうすべきこと、
こうしなくてはならないこと、は
人それぞれ違ってもいいのに
ふさわしくないとか
恥ずかしいことだとか
そんなものは
誰かが決めることではないのに
褒められるように
認められるように
模範になるようにと
日頃、がんじがらめの規則や固定観念を
忌避したいと思いつつ、
身体や心を律していることが
あるからなのか、
ふとした時に湧き出でる
「感情」「気持ち」に、
身体も心も
あっけなく奪い去られます。
抗えない瞬間があるのです。
ドラマティックなことではなくても、
気づかないうちに、
ほんのわずかな「感情」「気持ち」の揺れに
晒されてしまうのです。
・なんてかわいそうなの、
・こんなの見たことない、とっても素敵、
・もしかしたら、私、ひどいことをされたのかしら、悔しいわ
・冗談じゃない、ばかにするな、
こんなささいな「感情的」なことに
翻弄されて
自分を失うことも多いのです。
自分を失うということは
表現を失うということです。
自分がなければ、
模倣であって、
表現ではないからです。
このような揺れる気持ち、感情は
人間の素直な発露なので、
決して否定するものでは
ありません。
しかし、表現者の中には、
そのような規範・規律・常識から外れて、
感情や気持ちを
前面に押し出すことのほうが
「表現力」があると、
無意識に思い込むところがあります。
表現は気持ちや感情を表すもの?
よく、映画の宣伝ワードに出てくる
フレーズなのですが
心を動かされた!
涙が出た!
震えた!
胸が苦しくなった!
こういうパフォーマンスこそが、
素晴らしいものだと思い込んでいると、
表現において
感情、気持ちの動きが
全ての物差しになってしまうのです。
表現は
気持ちを動かすためのものでは
ありません。
これは実は表現者だけじゃなくて、
観客にも問題あり、
観客を育てるというところに
関わることです。
いつかお話しようと思います。
(・・・・って、できるかな。
いろいろ問題あるかな。
できなかったら、
セミナーかなんかの
クローズドのイベントでやります)
話がそれましたが
「感情」「気持ち」からしか
表現を捉えられない監督やコーチ、先生に
「もっと気持ちをこめて!」などという、
不幸な指導をされて
育てられることが
意外と多いのだと
私は大人になって
初めて知りました。
こんなことを言ってはなんですが
前回の小1のお嬢さんの質問、
「気持ちをこめるってなあに?」
と聞かれたら、
審査員の先生は
なんとお答えになったのだろうかと
思うのです。
もしかして
「楽譜の通りに音を出すのではなくて、
悲しそうなところは悲しそうに、
楽しいところは楽しそうに」
などと、
わけのわからない答えに
なるのでしょうか。
そういう先生に限って
「気持ち良く」弾いてると、
「ちゃんと楽譜通りに弾いて!
気持ちで弾くんじゃないの!」と、
おっしゃったりして
かわいそうに
余計混乱する羽目になったりします。
思ったこと
感じたこと
それを大切にすることと
コントロールせずに
むきだしにすることとは
違うように
どうやって取り扱うかは
本当に繊細で奥深いものだと
知っておく必要があるのです。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
「感情豊かな人」と
「感情的な人」と
何が違うと思いますか。

