こんにちは。
3回にわたってお話した
「必要のないことをやめる」の
補足をしようと思います。
自分としては
少し、舌足らずだったと思うので。
どうやって生きていくか
なぜ、この話をしたかという理由は
「必要ないことをやめる③」に
書きましたが
一般のお仕事をしている方向けではなく
あえて
表現者に向けて書いたのだと
まずはわかっていただきたいこと、
そして、これをきっかけに
表現者として生きることを
考えてみませんか、との
投げかけだったのですが
本当はもうちょっと
突っ込んで話したかったのです。
そしてここからは
もしかしたら
表現者ではない方で
将来のことや現在のことに
不安や悩みを抱えていらっしゃる方にも
話が届くかもしれないと
勝手に思って書くことにします。
この世の思いを超える
表現とは、
実際に目に見えないものを見、
聴こえないものを聴き、
感じられないことを感じ、
それが尊いものに
つながっていることを
身体と心で味わうものです。
普通の人にとっては
単なる音、単なる線、単なる動きが、
表現者にとっては、その中に
その人の人生や作り手の思いや、
この世の悲しみや幸せや、
言葉にできない数多のものが
一瞬にして露になっている、
そういうことを
紡ぎ出すことができる、
紡ぎ出す身体と心を備えている、
もしくは自分が紡ぎ出せなくても、
その紡ぎ出された宝を
生涯追い続けたいと願う存在なのです。
私が前回の記事で
表現者なら
根拠なきスピリチュアルに
囚われてはならないと書いたのは
見えないものや聴こえないものや
感じられないことを感じる能力が
あるからと言って
「霊視で災いの原因を取り除く」
「人生を好転させるやり方を知っている」などと
いうのとは
全く違うことだということを
ちゃんと認識してほしいからです。
もしかしたら外面としては
スピリチュアルな世界と
交わることもあるかもしれず、
混同なさる方がいらっしゃるかも
しれませんが
それは臨時収入を得るとか、
玉の輿に乗るとか、
病気が治るとか、
そういうことでは決してなく、
むしろ、そのような
この世の思いからは
遠く離れた、
もしくは
この世の思いとは反対のところに
表現の世界があるのです。
そんなものはいらない、
それよりももっと強烈に欲しいものがある、
もっと切実に欲しいものがある、
それが自分の表現なのだと
一も二もなくほとばしるように
発露するのが表現者だからです。
もし、スピリチュアルというくくりが
乱暴であれば、
表現の世界と、
この世の思いのみに
フォーカスしているものとの
明白なジャッジをできるものでいたいと
思うのです。
だからこそ、
そのような「現世利益」や
不安や悩みのみに基づいた
スピリチュアルは、
表現者には不必要なのです。
また、宗教に関しても、
同じような考えでいます。
つづく。

