こんにちは。
本当の自分と
他人から見えているであろう自分の
ギャップについて
お話をしていきます。
私は●●のような人になりたい
「サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
は、みなさまご存知、
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩にある
静かで熱い祈りの言葉です。
子供のころに
「ああいう人になりたい」
「そういう人になりたい」と
願ったことと、
今のご自分にとって
「ああいう人になりたい」
「そういう人になりたい」と
噛みしめることと、
同じでしょうか、
それとも違っているでしょうか。
子供のころは
可能性がたくさんあって
でも、その可能性に気づかずにいて、
目を上げて
遠くの憧れを見つめるのですが、
大人になると
可能性はずいぶん減ってしまったと
思い込んで、
目を下げて自分の足許を見つめることが
多くなるような気がいたします。
そして、
たまに自分を奮い立たせて、
下を向いていた目をあげて、
やっぱり私はそういう人になりたい、と
心の灯の明るさを確かめたりします。
私はこういうものです
呼吸のレッスンを行っていると、
その呼吸の中に
今まで歩んでこられたバックグラウンドや
これから向かいたいと望んでおられる未来が
美しく表れていることを感じます。
パフォーマンスの形は違えど
人生がそこに表れるから
その人にしかない、魅力的な表現に
なるのだなあ、と思わされるのは
呼吸がその人の身体に宿っているからだと
しみじみ思います。
呼吸はある意味、
その方自身の開示、でもあります。
全身を巡った空気を吐き出す、
「私はこういうものです」という
ことでもあるからです。
このときの「こういうもの」の
「もの」は
「こういう人」の「人」とは違って
もう少し広く、大きな意味を持っています。
宮沢賢治の詩にある
「サウイフモノ」は
「そういう人」ではなく
あくまでも「モノ」であることが
大きな意味を持つように
表現者として
自分を開示するときに
必要なのは
「こういう人」ではなく
「こういうもの」であるということを
お話していこうと思います。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
なりたかった職業、
絶対なれると思っていましたか。
それともただの願望でしたか。
諦めましたか。
願望が叶いましたか。
それぞれの理由、明言できますか。

