こんにちは。
息が吐けないと
おっしゃってくださったことに
気づかされたこと、
伝えたいことをお話しています。
目指すものは平安
前回、
なにか困ったこと
悩んでいることがあったときに
それをただ単純に解決しようと
するのではないこと、
また、そのことばかり
フォーカスしてもダメなこと、
すぐにできることではなくて
ずっとできるようになること、
そして
そもそもどうして
そういうことが起こるのかを
わからないといけないのだ
ということを、お話しました。
(←まとめてみました)
わかりやすく言うと、
呼吸法のレッスンって
呼吸の改善、ではないんですね。
「うまく呼吸できるようになる」
わけではないんです。
だって、みなさま、
別に呼吸のエキスパートを(それってなに?)
目指しているわけではないでしょう。
表現者の方でしたら
ご自分のパフォーマンスを良くしたいと
いうこともあるでしょうし、
仕事の集中力をあげたい、とか、
人前で堂々と講演したい、とか、
自信を持って交渉や商談をしたい、とか、
心の余裕を持って生活したい、とか、
言いたいことを言えるようになりたい、とか、
おひとりおひとり、違う希望が
あるわけで、
それを支えているのが呼吸である、
だから、呼吸にフォーカスするわけです。
すごく吸えます、思い切り吐けます、
そんなことをやってるわけではないんですね。
それどころか、一番理想的な呼吸は
吸っているか吐いているかわからない、
そんな状態でもあるんです。
自分が呼吸しているか、
していないかすら、わからない。
本当の安寧のときは
そういう状態になるのです。
そこが集中と解放のバランスのとれたところ。
そこに平安があります。
思い切りやってみる、がダメな理由
ブレイクスルー呼吸®の
目指すところのひとつに、
この平安があります。
もちろん、
いろいろな形で
自分を外に向かって広げていくのが、
毎日の活動ですが、
それを生む原動力、源は
その人のなかにある平安です。
静けさです。
静けさの中から
すべてが生まれるのです。
怒りや悲しみや喜びや幸せといった感情が、
なにかの表現のもと、
パワーになっているのは
当たり前のことです。
人間には感情があって
それが人間を人間たらしめています。
だからこそ、表現が生まれるのですが
でも、そのような感情の部分だけで
構成されている表現は、
刺激があってとても魅力的ですが
刹那で、あるときは暴力的なことすら、
あります。
私たちの感覚に
ダイレクトに響きますが
深まるのではなく
麻痺を起こします。
浅いのです。
むしろ、
そこを超越したところに
立たなければ、
表現はできないのです。
ここの部分、
取り違えていらっしゃるケースが
多いように思うのです。
たとえば、うまく表現できない、
伝えられない、
殻を破れない、というときに
何でもいいから、
気持ちをぶつけてみろ、というのは
簡単だし、本人は気持ちがいいのです。
気合いで乗り切る、
えいやでやってみる、
というのも同じです。
たまたまうまくいくと
思い切りやったのがよかった、
などと、思ったりします。
特に、ビギナーの方は
「いろいろ考えずに思い切りやってごらん」
「とにかく楽しんで」
と言われると、楽になって
それだけで気持ちよく事が運びます。
でも、ずっとそれを続けていると
いつか行き詰ります。
なぜなら、これは
自分だけのためのものであって、
そこに他人とのコミュニケーションは
ないからです。
表現は一方的なものではないのです。
平安の中から生まれた表現は
気合いで無我夢中でやってみた、
という表現とは違います。
心も身体も傷つけない表現です。
誰も痛みを伴わない表現です。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
アスリートの試合前インタビューで
「とにかく楽しんできます」と
言っているシーンが良くありますが、
彼ら、彼女たちは、何をどう
楽しもうと思っているのでしょう。

