こんにちは。
真似ること、個性について
考えをお話しています。
真似は難しい
前回、
「個性を出したいという誘惑」と
書きました。
自分でそう思っていなくても、
評論家や先生などから、
もっと個性がほしいなどと
言われたことのある方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
こういうことをおっしゃる方の口癖(?)は
・人の真似なんかしていたら
自分らしさがなくなる
・あなただけの表現ができないのか
・他人とは違うなにか、主張がないとダメだ
などなど、なのですが、
では、
自分らしさってなんですか、
あなただけの表現ってなんですか、
思い込みや独りよがりと何が違うんですか、
と伺うと、
いや、その人唯一のものですよ、
他にはない表現というか、と
さらに具体性がなくなってしまうんです。
人を真似てはいけない、と言うけれど、
だいたい、人の真似なんて
そうそうできるもんじゃないです。
真似ることは、
とても手間のかかることです。
自分で適当にやることの何倍も
難しいです。
スケート始めて一年の人が、
オリンピックのフィギュアスケート選手の
真似ができるわけがなく、
ピアノを5年しか習ってないのに、
ショパコンで優勝したピアニストの真似なんか
できないのです。
人の真似すらできないのに、
個性を出すって
いったい何を出すんだろうか?
なんのために?なにをしたいの?
歩き方を学ぶから個性が生まれる
よく、自分の好きなように、
自由に、縛られずに、表現してみよう!と
言うけれど、
自分の好きなように
思い通りに
表現できるようになるために、
どれだけ多くの人が
どれだけの戦いと苦労を重ねていることか。
一生懸命勉強を重ねても、
やりたいことの
これっぽっちもできないんですよ。
こうしたい、ああしたい、と
思いは溢れるのに、
できなくて
悔しくて悲しくて情けない思いを
ずっとしてきた、
戦い抜く人生なんです、表現者なんて。
ふううう。
それでもやめられないんです。
ええ。
だって美しい世界があるのを
知ってるんだもの。
そこに行きたいんだもの。
真似ることは
そこへいくための歩き方を
知ることでもあります。
けっして、
おんぶやだっこしてもらうんじゃなくて
自分で歩くために必要なんです。
ひとりひとりが作品に向き合い、
その時点で持ち会わせている道具(スキル)を使って
表現したものが個性であって、
その表現のために
どうやってその道具を使うかは、
先達や他の人の使い方を真似ながら、
自分で習得しなければならず、
その結果できあがったものが
個性として表れるのです。
なんでもいい、なんでもあり、ではない
もし、混同してらっしゃる方がいらしたら、
話が通じないので、整理しますと、
例えばファッションなどで
「みんなと同じ格好をしているけど、
そうじゃなくて
自分の好きなようなスタイルにしたら?」
ということを
「個性」とか「個性的」ということが
多いのですが、
表現においての個性はそれとは違います。
個性は自分をアピールするものではなく、
人とは違うと誇示するものでもなく、
目立つことでもないのです。
むしろ、自己顕示とは
真反対のところにあるものです。
変な例かもしれませんが
「お店に売っているビキニの水着は
みんな似たような感じだから
私は違うのを着るわ」と
形が似ているからって
ブラジャーとショーツの下着で
プールに現れたとしましょう。
その人の考え、個性ですから
他人はそれを干渉する権利はありません。
ま、いろんな人もいるよね、
個性だもんね、で、終わりです。
でも表現者の世界は違います。
下着と水着は違うということを
そしてその違いを見抜く目も
違いを感じる感覚も
真似ることによって養っています。
私たちは水着を表現したいのであって
下着を表現したいのではありません。
なんでもいい、なんでもあり、では
ないのです。
それは縛るとか不自由なのではなく
作品と、作品を作った人への
そして芸術に対するリスペクトです。
それがわかっていても、なお、
「人とは違った輝きを放ちたい」と
望む方もいらっしゃるのだと思います。
「きらりと光るなにかがほしい」と
悩まれる方がいらっしゃるのだと思います。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
小学校のとき、
書道のお書初めの宿題を
お見本の上に半紙を重ねて
なぞって書いたことがありますか。
どんな気持ちでしたか。

