こんにちは。
「爪痕を残したい」
「印象付けたい」
「人の記憶に残りたい」
そのようなことを願うことに
ついて
お話しています。
愚かな審査員
せっかくみんなの前で
パフォーマンスするのだから
受け入れてもらいたい
気に入ってもらいたい
できれば
褒めてもらいたい
すごいねと思ってもらいたい
そういう気持ちは
誰にでもあるのだと思うのです。
また、
オーディションや試験において
「目立ったもんがち」
「強い印象を残さないと」
「記憶に残るようなことをしないと」と
思うのも
無理のないことなのかもしれません。
人間は愚かなので
見た目の強さに左右されます。
内側に隠されている豊かなものよりも
表面に表れているわかりやすいものに
影響されます。
本物を見抜く目や耳を
誰もが持っているとは限りません。
そしてそういう
「キャッチーでエモい」ものは
表現ではないことに
気づいている方も
少ないのかもしれません。
さらに問題はそういう基準で
選抜する審査員が、
そこかしこにいるということです。
(はい、言ってしまった)
もちろん
ちゃんとした耳や目をお持ちの
素晴らしい方々も
いらっしゃいます。
つい最近も
ある大きなコンクールで
すごくわかりやすくて
耳と目を引き付けるような
パフォーマンスをした方が3位で
どちらかといえば
地味で一見、アトラクティブではない
しかし、とても深いパフォーマンスを
した方が1位になり
「審査員、えらい」と
(なにさま?)
話題になったのを思い出しました。
それぐらい
危ういものがあるので
若い方たちがそう思うのも
無理はないと思うのです。
表現者としての矜持
こんな言い方をしたら
批判されるのを承知でいいますが、
そういうまがい物が
横行していることに
飲み込まれるものか、
と思うのです。
わかりやすくて扇情的で浅薄なものに
身を窶したくない、
私はあくまでも
美しいものを目指したい、
そういう生き方をしたい、
もしかしたら損な役回りかもしれない、
けれどそれでもいい、
そういう矜持を持たないと、
この状況に抗うことは
できないのだろうと思うのです。
置き配の荷物
いつも表現は
コミュニケーションで、
アウトプットとインプットだと
お話していますが、
例えばなにかを
相手に届けたいと思っても、
相手が受けとりたくなければ
届けることはできません。
一生懸命心を尽くして
用意したプレゼントであろうと、
たとえ
素晴らしく価値のあるものでも、
もし、相手がいらないといえば
渡すことはできません。
爪痕を残す、という考え方は、
相手のほしい、ほしくないという思いは
無視して、
とにかく玄関前に
置き配してくるようなものです。
玄関のドアを開けて
受け取ってくれるかもしれないけれど
長く愛用してくれるものとは
違うのです。
その刹那的な存在に
なってもいいのかと
一度、問い直す時間を
持って下さったらいいのになあと
願うばかりです。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
欲しくないものを
押し付けられたので
捨てよう、と思ったとします。
どんな気持ちがしますか。

