こんにちは。
表現力がないと言われた、と
いう方のお話から
感じたこと、思っていることを
お話しています。
観客を信頼していない
前回は
表現になくてはならない「余白」が
呼吸から生まれていることを
お話しました。
余白、間は
身体の緊張と弛緩のリズムであることは
前回、例として取り上げた
「いっせいのせっ!」で
おわかりいただけると
思うのですが
その緊張と弛緩そのものは
自分一人で行うものではなく
相手、つまり表現を差しだす人と
同時に行うものだからこそ
そこに信頼関係があるということを
忘れてはならないのだと思います。
舞台でしたら、観客に対して
信頼できているからこそ
自分を差し出すことができるわけで
そこに恐れや不安や疑いがあると
差し出すことはできません。
表現をしようと思っても
うまくできない理由に
「観客を信頼していない」ことに
気づいている方は
意外と多いように思うのです。
信頼していないと
すべて自分で制御しようとしますから
労力もいりますし、
結果もついてきません。
表現力がないと言われて
自分に何か足りないんじゃないかと
慌ててしまう方は
このタイプが多いのです。
自分ですべてを完結することに
一生懸命になるだけでは
実は表現は完成しません。
自分で閉じるのではなく
開かれたまま、差し出すことが
必要だからです。
これは呼吸と同じことです。
何も考えずに
私たちが呼吸できるのは
周りの空間を
信頼しているからですよね。
少しでも居心地が悪かったり
不穏な雰囲気があったりして
安心できなければ
気持ちよく呼吸できません。
時々、ご自分の周りのことに
いつも懐疑的で不満で信用していない
生き方をしてらっしゃる方が
おられるのですが
そういう方は呼吸ができていないので
表現も貧しくならざるを得ません。
なぜか、
この人のパフォーマンスを見ていると、
こちらまで温かい心になるというような
シーンに遭遇したことが
おありでしょうか。
その理由はこういうところにあります。
表現力があるとかないとか
そんなことを言わせないぐらいの
エネルギーのヒントはここなのです。
押し付けることがいいという毒
表現力とは
つながる力でもあります。
どうやってつながるか、
つながるためには
お互いに手を差し出し、握りあうことから
始まるわけですから
こちらばかり
すごい勢いで手を出すことは
表現力ではなくて
ただの「押し付け」「自己顕示」
「行き過ぎたアピール」です。
つながることには
ならないのです。
そして、そういうことが
表現力だと勘違いしている人の
もしくは、そういうことを要求する人の感覚に
毒されないようにすることは
ご自分の大切な表現を
守ることでもあります。
自分が気持ち良くなるために
自分の楽しみのために
パフォーマンスするのは
プロの表現者としての仕事ではありません。
演じることで
演奏することで
語ることで
書くことで
創ることで
大切なものが壊れないように
ご自分の表現とは
何を目的にしているのか
考えていただけるといいなと
思っています。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
心を込めて一生懸命作ったものを
プレゼントしたけれど
こちらが思ったほど喜んでくれなかった
とします。
悲しい、悔しい、残念、などの気持ちは
なぜ生まれるのだと思いますか。

