こんにちは。
ヴォイトレについて
思うことをお話しています。
今回は
ちょっと理屈っぽいことを
書きます。
理屈っぽいけど
アタマではなくて
身体でわかって下さると
いいなって思いながら
書きます。
抽象的な固い言葉が続きます。
アタマではなくて
心でわかって下さると
いいなって思いながら
書きます。
真理・道理
表現の仕事をなさっている方、
また、目指していらっしゃる方、
実際に仕事としていなくても
表現者としての道を歩みたい方
その方たちが
表現に何を求め
なんのために表現をするのか
表現者としてありたい、と
願うのか。
いつもこの部分に
悩み、戸惑い、
進んでこられたことと思います。
表面的なテクニックや
求められるものを
次から次へと捌くことだけでは
立ち行かなくなるのだと
骨身に沁みていることと
思います。
ご自分の専門が
楽器でも歌でも演技でも創作でも
どんな表現であっても
共通する「真理」「道理」の
ようなものがあって
(真理と道理の違いは、別の機会に)
それを追求していくのが
表現者であるのです。
だからこそ、表現者同士
わかりあえるのだろうとも
思っています。
表面的なテクニック習得ではなく
●●ができない
△△に悩んでいる
××ができるようになりたい
そのような悩みを
ひとつひとつ
テクニックとして
身につけることは
基本的なことです。
けれど、
テクニックを積み重ねることが
表現を深めることでは
けっしてありません。
また、
すべてを
テクニックを習得するという
ルートのみで
解決しようとすると
きりがありません。
要求される表現は際限がないので
それにひとつひとつ
対応しようとすると
きりがないのです。
それは、
死ぬまで勉強、ということではなく
いつも追いかけられ、追われて
自分の中から生み出す余裕が
なくなることを指します。
死ぬまで勉強、
テクニックを習得すること
そのことが
いったいなんのために
どこを目指しているのか
それをわかるためには
いったん
自分自身を整理し
見つめ直す必要があります。
できないことへの対応に追われて
疲れ果ててはならないのです。
一生を表現者として
生きていくなら
「●●すると高い声が出る!」
みたいなヴォイトレから
一線を画さないとならないのは
このためなのです。
つづく。
小さなヒント
その道のトッププレイヤーが
他の世界でも上手にこなすのは
なぜだと思いますか。

