こんにちは。
前回は「なんだかわからないけど」ということが
スタートだというお話をいたしました。
なんだかわからないけど、が持つ確かさ
「なんだかわからないけど」ということは
「盲目的になること」とは違うんです。
●●するために◆◆する、
××したら△△になる、
そういう、手段と目的がはっきりしているもの、
根拠、論理がはっきりしているもの以外は
受け付けません、受け付けるべきじゃないと
思う方もいらっしゃるでしょう。
もちろん、手段や目的、根拠や理論が
はっきりしているのは、良いことですし、
なにかをするときに再現性がないものは脆い、
単なる偶然、思いこみでしかないと思うのも
無理はありません。
けれど「なんだかわからないけど」ということは
偶発性にもたれかかることではありません。
むしろ、高い再現性と確実性が得られるためには
この道を通らなくてはならないのです。
目に見えている、わかりやすいものよりも
はるかに強くて揺るぎない確信をもたらすものなのです。
ここが少し難しいところかもしれません。
少し遠回りするようですが
別の角度から考えてみましょうか。
好きですかという質問をしてみる
お読みくださっているあなたが
ピアニストさんだとしましょう。
ピアノを弾くこと、好きですか。
こういう質問をすると
おもしろいことに、ピアニストの方は
「ええまあ、もちろん好きですけれど・・・」と
言葉を濁されます。
女優さんに
「女優のお仕事、お好きですか」と質問すると
「え、ええ、なんとかやらせてもらってます・・」
と言葉を濁されます。
なぜプロとしてお仕事をなさっているのに
言葉を濁すんだろう、って思いませんか。
もちろん、
「もう好きで好きでたまらないからやってまーす。
やっほー、あたし、しあわせー!」
みたいな方もいらっしゃるとは思いますが
そうじゃない方の方が圧倒的に多いです。
いろんな理由があるとは思いますが
「好きっていうひとことでは言い表せないのよ」
という部分はとても大きいように思います。
単に好きだからやってるんじゃないの。
そんな簡単、単純なことじゃないの。
いろいろあるのよ。苦しいことの方が多いのよ。
楽しいことなんて1%ぐらいしかなくて
あとの99%はしんどいのよ。
でもその1%があまりにも素晴らしいの。
だからやめられないのよ。
好きでやってるだけなら、苦労はないのよ。
うーん、そうね、好きなのね、結局ね。
でも好き以上のものがあるんだと思うわ。
なんだろう、わからないけど。
好き、うーん。うん、好きなのね。
でもね・・・・。
こんな感じでしょうか。
「自分が何かを表わしたい」
「弾いてて楽しい」「お芝居してて楽しい」だけなら
「そういうことができるから好き」になるけれど
そうではない、それだけではない、
それ以上のことが表現にはあるのだ、
それを表現したいためにやっているのだ、
ということなのでしょう。
そこに、論理や理屈を超えたものがあると
本能的に、もしくはお仕事をなさっていくうちに
勉強をなさっていくうちに
身につけられたことなのだろうとも思います。
それでも心を動かす、心が動いてしまう
表現は理屈を超えたものである、
もっと言えば人智を超えたもの、
それが本質だと私は思っています。
言葉にできなくても
理屈に合わなくても
それでも心を動かす、心が動いてしまう
そういう美しく、尊いものに
触れ、交し合うのが表現者だとすれば
●●するために◆◆する、
××したら△△になる、
ということだけではなくて、
「なんだかわからないけど」ということが
実は大切なことなのだと、
気づいていただけたらなあと
思うのです。
つづく。
小さなヒント
ご自分の好きな色、
どんなところに取り入れていますか。
身の回りは好きな色のものばかりですか。

