こんにちは。
「本番、オーディション、コンクールでは
口角を上げなくては」という思いが、
いや、思いではなくて
無意識の強迫観念になっている方も
いらっしゃることが
ずっと気になっていた、とのお話、
続きです。
私以外の誰かが私を動かしている
私たちは
自分の行動が
自分の考えによってなされていると
考えがちなのですが
実際はそうではありません。
むしろ、自分の考えで動いていることの方が
少ないのです。
人間の行動は
その人の思考、経験、常識、から
生まれます。
例えば
テーブルの上に置いてあるカップを
手に取って飲む、という動作をするとします。
そのとき、私たちは瞬間的に
・自分からどれだけ離れているか
・カップの重さ
・なんの飲み物か
・飲み物の温度
・どれだけの量が入っているか
・喉がどのぐらい乾いているか
・その場所に誰がいるか
・どんなシチュエーションか
・・・・などなど、
たくさんの条件を瞬間的にキャッチして
それを統合して、腕の動きを作ります。
もちろん、その前に目を動かして、
瞬間的にカップ、
もしくは中を見るケースもあるでしょう。
ひとりで喉が渇いてごくごく飲むときと
オフィシャルな場で、促されて口に含む場合と
カップの持ち方から変わってくるわけで
どんな動作がふさわしいか、
それまでの経験や常識、思考が
瞬間的に生み出すわけです。
お芝居をなさる方は
細かく細かく、一つの動作を割って
演じる練習をなさるので
よくお分かりだと思います。
そしてそれらは
私たちが今まで経験してきたこと、
常識、思考、すべてを網羅しなければ
生まれないのです。
ですから、
「人前では明るく元気に前向きに」が
いいものだとずっと思わせられてきたら
そのように行動するのに、
なんら矛盾を感じることはありません。
ご褒美がもらえる表現
そして、そうすることで、
「正しいことをしている」
「常識的なことをしている」
「褒められることをしている」
「好ましいことをしている」との
評価が与えられる、
そういうご褒美があるのです。
根拠のない偏った思考でさえ、
その思考の持ち主に
精神的な依存が存在すれば
無意識のうちに、
そういう行動をとることにもなります。
特に日本の昔からの「お稽古事」は
師弟関係、流派が閉鎖的でしたから
この現代においても、
演劇も音楽も、芸術であるのに
クリエイティヴなことから離れて
先生、師匠の跡を継ぐ感覚が
消えません。
一生懸命、先生の言うことを守って
「お習い」するのが正しいやり方、のように。
誰かから受け取ったものだけで作られたものは
絶対にその人を越えることはありません。
本来の自分を取り戻し
本来の自分の表現を花開かせる
そのために
何を捨て、何を見つけなくてはいけないのか。
私がブレイクスルー呼吸®セラピーを
始めたのは、こういう思いからなのです。
小さなヒント
この人の言うことは
100%間違っていない、
と思ったことありますか。

