こんにちは。
感動のパフォーマンス、
その闇についてのお話続けます。
ちゃんとしたものを披露したい
ここを読んで下さる方が
なさっておられる表現活動は、
多岐に渡ると思いますので、
ひとつの例でお話します。
例えば、あなたが
オムレツを作ることに
人生を賭けている、
としましょう。
卵焼き、
スクランブルエッグ、
温泉たまご、
目玉焼き、
ポーチドエッグ、
などなど、
数ある卵料理の中で、
あなたはオムレツに魅せられ、
オムレツを作ることに
心も身体も捧げる毎日です。
なぜ、オムレツなのか、
小さいころから
おうちのテーブルにのっていて、
親しみがあったのか、
それとも
大人になって
有名なレストランで食べて
感激したのか、
いろいろな理由があるにせよ、
全力をもって
素晴らしいオムレツを作ろうと
日々努力しています。
最初は
もちろんうまくいかなくて、
形も崩れたり、
ポロポロの食感になったりしますが、
いつかは
あの憧れのシェフが
作るようなオムレツを、
いつかは
あのときに感激したオムレツを、と
志を新たにしています。
オムレツを作る技を
自分で練習するだけでなく
ネットやテレビや料理本で
情報を集めたり、
クッキングスクールに
行くようになります。
卵のかき混ぜ方にコツがあったのか!
フォークとお菜箸と
どちらがいいんだろうか、
いや、材料の牛乳の乳脂肪分に
こだわらなきゃいけないのかな、
有塩バターと無塩バターの違い
いや、バターはエシレ?カルピス?
迷うなあ、
IHよりガスの方がいいのかな、
火力は何がベストだろう、
などと、
細かいところまで
研究を重ねます。
それなのに時々、
youtubeやインスタ、ブログなどで
・オムレツをうまくまとめられなくてもOK!
スクランブルエッグ作って、
布巾で形を整えれば、
ほーら、出来上がり!
・卵を流し込めば、簡単にすぐに
オムレツができる型を使ってみよう!
という動画や情報があがると、
やたらに腹が立ち
「それはオムレツじゃない!」と
なって、
友達と作った「オムレツ勉強会」で、
「本物と偽物を一緒にしないで」
「私たちのオムレツへの思いを
バカにしてる」
「どれだけ大変なことなのか、
わかってない」と
みんなで憤慨したりします。
そしてだからこそ、
「ちゃんとしたオムレツ」が
いかに素晴らしいか、
それを伝えたい、
そして
頑張って身につけたオムレツを
みんなに披露したいと思うのです。
ここまではいいのです。
問題の闇はここからです。
自分と同じ感動を味あわせたい
ここで引っ掛かるのは
コンプレックスの要素です。
ずっとここまで
オムレツに生涯捧げて頑張ってきたけど
3つ星レストランのシェフが作る
オムレツには叶わない、と
ひそかに悔しく情けなく落ち込みます。
いやいや、私の目指してるのは
そういうのじゃないのよ、
と思うときもあります。
そして、
心の底で
いつかああなりたい、
ああなれたらいいなあ、と思い、
私はあそこまではいかないけど、
オムレツの真髄はわかっている、
そこに近づく努力もしている、
だからこそ、私なりに
食べた人が心を震わせるような
オムレツを提供したい、
いつかは
みんなが感動するようなオムレツを
作りたい、そう考えるのです。
オムレツは食べ物ですから
まずは
「食べておいしい」
というのが大原則です。
けれど、その大原則を
飛び越えてしまうのです。
おいしいのは当然、と
わかりつつも、
おいしいね、と
言われるのには飽き足らず
「こんなの食べたことない、感動ものだね」
「感激しちゃった」
と言われるようなオムレツを
目指すのです。
自分の感動と同じ感動を
他人にも味わってほしい、
できれば自分の産み出すもので
同じ感動を味わってほしい
という欲望が、
おいしいオムレツを作ることを
越えてしまうのです。
この欲望こそが闇なのです。
オムレツを作る理由
シンプルに、
おいしいオムレツを
作るだけでは不満ですか?
おいしいね、と
思ってもらうだけだと
ダメですか?
おいしかったよ、と
言いに来てもらえないと
不安ですか?
おいしさは
人によって変わります。
100人いたら、
100人全員がおいしいということは
ないのです。
だとしたら、
誰に向かってのおいしさを
追求してきたのですか。
おいしいということは、
どういうことか、
深掘りすると、
なんだと思いますか。
オムレツを作るのは
誰のため、なんのためですか。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
感動を人に積極的に伝えますか。
それとも一人で噛みしめますか。
あえて伝えないこともありますか。

