こんにちは。
自由になったら、についてのお話、
最後です。
本当は自由を手にしているのに
自由になったら
こんなことがしたい、
今は自由じゃないけれど
いつか自由になったら
こんなこともできるのではないか
そう思う方々に
そうではなくて
本当はすでに自由なのだ
自由であることに
目を背けているんだ
ということを言いたくて
長々とお話してきました。
いや、こんなに不自由なんです、
うまく動けないんです、
心も苦しいんです、
とおっしゃる方が多いのは
自由であることを実感できないのは
何もかも自由になったら
そこで裸の私が見えてしまう
本当はたいしてできない(と恐れている)私の
真の姿があらわになってしまう
そういう思いを
ひそかに心の底に
持っている方もいるということを
わかる必要があります。
また、
身体や心の自由は求めているけれど
思考の自由は必要ない、
価値観を変えるつもりはない、
今までこれで十分やってきたんだと
お思いの向きもあるでしょう。
でも、それでは
せっかく手にしている自由を
使うことはできないのです。
もっと思うままに自由に
表現したい、とお思いになるなら
そうすればいいんです。
それを阻んでいるのは
残念だけど、ご自分です。
3つの自由が表現を作る
表現とは
心で感じたことを身体で表し
それによって生まれた感覚を
心で感じるという
身体と心の相互の関係だけと
思われがちですが、
そこに他の誰でもない
私という存在の確かさがあって
初めて感じること、
思うことが生まれるのだと
思っています。
身体の自由、
心の自由、
思考の自由が
表現を作っているのです。
だから、
この身体、心、思考の
3つの循環と関係性が
滞りなく、深く豊かにあることが
表現者として必須なのです。
自由な表現は自分を大切にすること
身体の自由は
肉体的に動くことができること
心の自由は
何にもとらわれない思いを抱くこと、
思考の自由は
他の存在の自由を
受け入れることです。
え?と思うかもしれませんが
ご自分の思考と違う思考の存在を
認められなければ
自由になれないからです。
それは、時として
ご自分の言い分が通らないという
不平や不満や怒りや戸惑いに
つながります。
良かれと思って言ってるのに、
なんでわかってくれないの、
こっちの方が正しいのに、
なぜ間違ったままでいるの、
そう思うからです。
けれど、表現とは
私しかできない
私だからできる
私だけのものです。
それを目指して
日々努力しているのであって
誰かの真似をするために
必死で勉強するのではないのです。
表現は
わかってくれる、
褒めてくれる、
称えてくれるファンを
増やすことではありません。
独りよがりでもありません。
表現はコミュニケーションだからです。
自分と他の存在が
きちんと確立しているからこそ
表現が行えるのです。
自由な身体のささえのために、
トレーニングをつんだり、
自由な心のために、
心のメンテナンスをしたり、
自由な思考のために
こだわりを捨てて
他者の自由を受け入れる、
その総合高等技術、
つまり表現が
最終的に行き着くところは、
自分を大切にする、
ということです。
ですから、
これは表現者だけに関わることでは
ないんです。
自分を大切にすることが、
相手の大切を生む、
他の存在を自由にすることが
自分を自由にすることだと
身体と心と思考でわかったとき、
幸せになる、
人生が変わるのだと
思っています。
その醍醐味を
ブレイクスルー呼吸®で
味わっていただけたらなあと
思うのです。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
もし、なにもかもが手に入ったら
一日をどうやって過ごそうと思いますか。

