こんにちは。
今回は
「認められたいけど、目立ちたくない」を
テーマにお話をしていこうと思います。
表現者の限界
表現者の仕事は
静的なものであれ
動的なものであれ
その人の内なる部分が
外に現れ
外界に響いたものを
受け取るという回路を
たどっているわけです。
もちろん、
そこには「評価を得たい」という目的が
存在する場合も
存在しない場合もあって
どちらのスタンスで行おうとも
外界になんらかの動きを生じさせる
わけですから
その反応は必ず返ってくるのです。
そして(大部分の人は)
その反応になんらかの形で
影響されるものだと思っています。
その一方で
日本人は「和」のDNAが
刷り込まれているからか、
「場」の概念が強くて
それを乱すような
「目立つこと」を「浮く」などと
嫌う、避ける傾向がありますよね。
もちろん、いろんなタイプの方がいて
「目立ちたい」「印象付けたい」と
それを目指しているケースも
あるのですが
ときどき、
「それなりの評価がほしい」
「みんなに認められたい」のに
「目立ちたくない」という方が
いらっしゃいます。
出る杭は打たれる、ということわざ通り、
目立つことがリスク、
自分だけ違うことが恥、不安
なのでしょうか。
個人の表現よりも
場を乱さない、集団の安定が
優先されるのは
もしかしたら当然、
なのかもしれません。
けれども、それでは、
認められたい、よりも
目立つと嫌われる、
攻撃されるかも、の恐れが
勝つことになり
表現者としての限界が
あるわけですから
葛藤を抱えることになるのです。
自分に圧力をかけ続ける
この葛藤は
表現者として生きているのに
自分の表現への抑制が
外側からの圧力ではなく
実は自分の中から生まれた圧力であると
無意識のうちに認識していることから
始まっているのです。
圧力をかけているのは
自分なのです。
ひとつには小さいころから
自分を肯定することや
人より先んじることは
謙遜の精神に反する、悪いことだと
意識に植え付けられているために
自分を外側から見る目が
いつも働いているからでもあります。
このため、「他人がどう見るか」という意識が
心の中に住みつき、
それが「目立ちたくない」という形で
自己防衛を働かせます。
たとえば、
年齢が低い子供がパフォーマンスするときに
気持ちよくできるのに
ある年齢に達すると
いきなりあがるようになる、
緊張でパフォーマンスできなくなる、
というのは
よくご存じのことだと思います。
自分の中の内なる意識、
外側から自分を見る目が
育ったからですよね。
子供の時の
ピアノやヴァイオリンの発表会で
「●●さんは上手だから△△して」と
言われて、
先生にそう言われたのはうれしいけれど
目立つことは嫌だからと
必死で抵抗するケースもこれと一緒で
誰かに見てもらいたい、
誰かに評価してもらいたい、
誰かに理解してもらいたい、
けれど、
それを上回る
「みんなの中で安心安全に過ごしたい」
気持ちが、
その人の表現を削ぐことに
なるのです。
そして、その気持ちを
ずーっと、年をとっても
持ち続けていらっしゃる方も
多くおられるように思っています。
自分への圧力を
ずっとかけ続けているのです。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
目立っている人を見て
心の中に浮かぶ言葉、
一番最初に浮かんだのは
なんですか。

