集中力と表現力を100%引き出す
解剖学、心理学に基づく 呼吸レッスンです
呼吸が あなたの人生を変えます
ブレイクスルー呼吸®
前回は、「表現者である」ということが
「まっとうな仕事ではない」という
根拠のない概念にひずみを受けている
ということにお話が及びました。
噛み砕いて考えていきたいと思います。
生存戦略としての価値観
日本社会では長く、
定職があって、
大きな組織に属していて、
毎月、安定したお給料をもらえて
社会的な役割が明確であるという
条件を満たすことが
「まっとうな仕事」であり、
それに従事することが
「まっとうな大人」だと
言われてきたんですよね。
一人前、になるのは
それを満たしていないと
ならないわけです。
でもこれって
「そうすることが当然」という
倫理や道徳ではないんですよ。
「そうした方が生活が安定するよ」
という、生存戦略なのです。
なので、
なにやってるんだか、
よくわからない上に
個人的な能力に頼るばかりで
成功と成功の差が激しい仕事は
それでなくても敬遠されるし
そんな「不安定な仕事」を選ぶなんて
「まっとうな人間のやることではない」
わけなのです。
いえ、そもそもそんなの
仕事じゃなくて道楽って
言われて終わりなんです。
だって、仕事って言うのは
苦労するものなのに
なんだかへらへら歌ったり
じゃらじゃら楽器弾いたり
あっちゃこっちゃ舞台を走り回ったり
年がら年中、木を削ったりしてて
そんな遊んでるのが
仕事なわけないでしょ、となるんですね。
へらへらなんて
歌ってないわっ。
ふふん。
そもそも「まっとう」の概念が
違っているだけで
通常では成しえない専門的な訓練の上に
コンスタントな成果を挙げて、
その人にしかできない、
その人でなくてはならない結果を出せる
んですから、分野が違うだけで
充分に「まっとうな」んです。
社会的安定が一番だから
たとえば、趣味として携わっている場合は
生活は「まっとうな仕事」が他にあるので
安心のうちに担保されているため
芸術や表現に関することを「嗜む」なんて
人格の厚みのように捉えてもらえるのですが
仕事として芸術に「立ち向かって」いると
生活そのものをそのような不安定なものに
賭けているとみなされたり
まっとうな社会の枠組みからずれている
存在だと思われてしまうのですね。
つまり、否定される本質、
そして表現者の中でわだかまる本質は
「表現という仕事」ではなくて
「それを生活の軸に置いている」ことへの
否定であり、わだかまりであり、
自己の仕事への否定につながっていくように
思うのです。
ですから、
表現者の仕事が
「まっとうでない」と見なされるのは、
社会的に価値がないからではありません。
日本の社会がこじれさせてきた
「社会的安定が一番」という思考が、
表現という仕事を扱いきれない
という、社会側の限界なんです。
ふーっ。
言ってやりました。
ええ。(誰に?)
つづく。
年内に終わるかしらん。
終わらせます。
画家と美術の先生、どちらが婚活に有利だと思いますか。
それはなぜですか。


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