こんにちは。
「認められたいけど、目立ちたくない」
というテーマでお話をしています。
安心・安全・表現できる
前回は
表現よりも
自分の属する社会の中での
安心、安全を優先する考えを
ずっと保ち続けている、
自分に課している方がいらっしゃる、
というところまでお話しました。
こうやって文字にすると
そんなこと必要ないのに、と
思う方もいらっしゃるかもしれませんが
それでなくても狭い世界の中で
軋轢なく過ごしていくことは
大切な「うまく泳いでいく知恵」でもあるので
そうそう、「突飛なこと」は
できないものなのです。
ですので、
この場合の解決策としては
「安心で安全な表現の場」を
考える必要があろうかと思います。
(もちろん、このような思考を
お持ちでない方には
そのまま思いのままに行動していただいて
いいのです)
「安心で安全な場」を作るには
目立つ、ということを
自分の中で再定義する必要があります。
つまり、
同じようにその場で「際立つ」ことは
変わらないのですが
それが他者との比較や、
優劣を表わすものだと
無意識に思っていることを
「存在としてそこに現れている」と
定義しなおすということです。
どう違うのか、
少しわかりにくいと思うので
説明していきます。
私はここにいる
目立つことを嫌う、気にする方は
往々にして
他者からの評価に敏感です。
周りからどう思われるか、
どう評価されるか、に対する懸念が
とても濃くて深いのです。
それは裏返すと
自己価値や存在証明への欲求なのですが
もう少し、範囲を広げて考えてみます。
たとえば
自分のパフォーマンスで
自分が輝く、だから認められる、のではなく
自分のパフォーマンスは
自分を輝かせるというよりも
自分がいる空間を輝かせる、と考えるのです。
つまり、
自分という個が際立つのではなく
自分のパフォーマンスによって
その場、その空間が響く、輝く、際立つと
いうことを目的としているのだ、と
思考を定義しなおすということです。
自分が響くことと
空間が、場が響くことの違いは
よくよくおわかりのことのはずですが
ここを取り違えてしまうと
パフォーマンスの質もあがらず、
共感、伝わるということも欠けてしまいます。
もし、いや、そういうことは
わかっているけれど
目立ちたくないとおっしゃる方は
厳しい言い方ですが
本質のところでわかっていらっしゃらないのだと
思うのです。
そして、ここがクリアになっていると
目立つ、という外側からの目ではなく
自ら現れる、そこにいる、という
存在としての自分を強く感じられるのです。
呼吸のワークがなぜここに必要かは
言うまでもありませんが
「私はここにいる」という
確かな体感、実感を得るためなのです。
私はいまここにいる、ということが
アタマ、理論のみで理解していると
いつも外側からの脅威にさらされて
安心安全な場にいることができません。
私はどんなときでも
私でいられる、
どんなことがあっても
安心でいられる、
どのようなことが襲っても
安全でいられる、
そういう自分になる必要が
あるのです。
それが本来の「際立つ」ことであり
自分が一番輝くということです。
つづく。
小さなヒント
(解説は公式LINEにて)
安心で安全なところに
行ってください、と言われたら
瞬間的にどこを想像しますか。

