『外野がうるさい②』

こんにちは。

「外野がうるさい」との題で

パフォーマンスの場での

他人が気になって集中できないとの

ご意見について

お話しています。

目次

野生動物の戦い

前回は

外野がうるさいのではなくて

「外野に向けてボールを打っている」と

無意識のうちに

他の人、モノに対して

おのずから集中してしまっているのだと

いうお話をしました。

大切なパフォーマンスの場では

いつもよりも神経が高ぶって

感覚のセンサーが

鋭くなっています。

そのため普段では

気づけないこと

感じられないこと

見えないことなどを

「ちゃんと」キャッチできるのです。

感じるセンサーの能力が

あがっているのです。

人間は動物ですから

知らない人、モノが

たくさんいる場に入った瞬間に

そこにいるのが

自分の味方なのか敵なのかを

瞬時に察知しなければ

命の危険があります。

全然周りが気にならない、というのは

ある意味、鈍感で

サバンナだったら

気づかないうちに食べられてる、

ことにもなるわけです。

ですから、

むしろ気になるのが当然、普通、と

申し上げたのですが

問題なのは

「そこに向けてボールを打つ」

ことなのです。

ここからここまでが私です

自分の周りの人やモノが

自分にとってどんな存在なのか

気になるということと

そこに「ちょっかいを出す」ことは

全く違うことです。

ただ、冷静に認識するのと

関わりを持とうとするのは

そこに至る背景が異なるのです。

なぜ、関わりを持とうとするかと言うと

「自分を認めてほしい」

「受け入れてほしい」という欲求が

あるからです。

自分の存在する理由を

他人からの承認や評価が

下支えすることで

安心を得たいと思うからです。

これは単に

「褒められるとうれしい」と

いうことではありません。

また、

承認欲求が強いと

いうことでもありません。

一番の理由は

自分と他人の線引きが弱い、

ということなのです。

ここからは自分の領域、

ここからは自分以外の領域、と

はっきりテリトリー、ゾーン分けが

できていないと

自分と他人の境界線があやふやなので

自分の存在理由も

第三者の意見が必要になります。

そしてここの境界線が

はっきりしていないと

「内なる自分」がぼやけるので

表現者としては浅いものに

ならざるを得ません。

「私」が何者か

わからないのに

表現なんて、

できるはずがないのです。

表現者として生きていくことは

「私」が何者であるかを

追求していくことと

同じだからです。

つづく。

 小さなヒント
(解説は公式LINEにて)

ある試験を受けに来たとします。

試験の案内には「スーツ着用のこと」と

書いてあったので、スーツを着てきたら

集まっていた人達は、

スーツを着ている人は1人もいなくて

みんなバラバラの格好をしていました。

さて、どうしますか。

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1・心、身体、思考の癖が取れるので、感じていることを、そのまま身体で表現できます。

2・頭で考えるのを手放すので、心身のリラックスが得られます。

3・自分の本当の思いに気づき、人とのコミュニケーションが、うまくいくようになります。

4・身体が整って気持ちよく声が出ます。

5・不安や恐れから抜け出して、自信と安心が自分の中にあることを確信できます。

6・他人からの根拠のない評価、詮索や攻撃に左右されなくなります。

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