集中力と表現力を100%引き出す
解剖学、心理学に基づく 呼吸レッスンです
呼吸が あなたの人生を変えます
ブレイクスルー呼吸®
前回は表現はある意味、
なにかを作り上げるのではなく
邪魔をしないということなのだ、
というお話をいたしました。
なんのために上手になりたいのか
邪魔?
いやいや、そんなこと
思ったこともないです、
とおっしゃる方も
あるかもしれません。
誤解があるといけないので
もう少し言葉を付け加えると
いろいろな技術によって
その作品をその作品たらしめることとは
当たり前のことで、
なんにもしないということでは
まったくありません。
でもだからこそ、
でも、表現の核心に関しては、
足すことより、邪魔しないこと
押すことより、聴くこと
届けることより、塞がないこと
作ることより、現れる余地を残すこと
それが大切なのだということなのです。
表現しよう、として
作品の中で起きていることを、
自分の作為や承認欲求で塞いでは
ならないのです。
もっと言葉を足すのなら
自分の欲や不安や見栄が、
作品の前に立ちはだかっていない状態を
作っているかどうか、なのです。
ううー、難しいねえ。
難しいけれど、だからこそ、
みんな一生をかけてやり続けるんですよね。
単に
上手になりたい、とか
そういうことで
続けてるんじゃないんです。
上手になりたい、もちろんだけど
その上手は何のための上手ですか、
ということです。
自己顕示欲と自己否定
そして、表現を阻むものは
褒められたい、認められたい私、
などの自己顕示欲だけではなく
自己否定もそうです。
見られたい私であり、
見られたくない私でもある。
評価されたい私であり、
評価を恐れる私でもある。
作品を踏み台に
自分自身をなんとかしようとする
そんな行為は表現ではないのですが
そこに気づいていれば
作品を利用して私を表現したい、
というところから
私は作品を表わす道具なのだ、
というところへ
行けるような気がするのです。
では、
そういう「表現を邪魔をする」
「表現にとって余計な」自分は
具体的に
どんな状態になっているのでしょうか。
リラックスするための呼吸?
人前に立つと、
私たちは作品を聴く前に、
まず自分がどう見られるかを
気にし始めます。
その瞬間、
身体には小さな変化が起きます。
息が浅くなる、
首や胸が固まる、
目が外を探る、
音を出す前、身体を動かす前に
身体が少し構える。
これが「余計な自分」です。
そうするとおそらく
ほとんどの方々は
息をたくさん吸おうとする、
いわゆる深呼吸をする、
緊張をほぐすために
手足をぶらぶらさせるなど
身体を動かしたりします。
リラックスさせる、わけですね。
でも、パフォーマンスをするときの
リラックスは
だらっと休憩するときのリラックスとは
まったく意味が違います。
神経を休ませてしまったら
ダメなんです。
だからこそ
パフォーマンスのための呼吸が
必要になるのです。
つづく。
健康になる呼吸とリラックスするための呼吸など
いろいろな目的の呼吸があるとしたら
なぜ差が出るのだと思いますか。


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