集中力と表現力を100%引き出す
解剖学、心理学に基づく 呼吸レッスンです
呼吸が あなたの人生を変えます
ブレイクスルー呼吸®
表現について、
前回は「表現は応答である」というお話を
いたしました。
この「応答」については
うんうん、そうだよね、と
わかってくださる方がほとんどだとは
思うのですが
「表現は相手に届けるもの」
「伝わらなかったら意味がない」
のような反撃を食らうことがあります。
もっと相手に刺さるように、とか
自分を解放しなくちゃ、とか、
ぶつけてもいいから、表現して、とか、
もっと思い切り好きなようにやって、とか、
その手の
「芸術は爆発だ、を取り違えてる」
「なんでもいいからやってみよう」
「パワフルに!」チームには
絶対にわかってもらえないと思うので
私はそこと戦うのは
もうきっぱり諦めました。
わからない人には
わかってもらわなくていいかな。
って、話がそれました。
お話続けます。
褒められたい、認められたい
たとえば
作品を演奏すると
「その人が演奏にあらわれる」と
良く言われますが
それは
単に演奏者の感情を
その作品を「使って」表わしているのでは
ありませんよね。
それでも
作品に対する態度や、
音への知識、集中力、
聴く力もあらわになりますし、
その人が何を美しいと思っているかも
演奏から溢れるものです。
なにかを外に表そう、としなくても
そこに溢れるのです。
ここには、褒められたい、
認められたいという欲求は
相容れないのですが
なかなかここをクリアするのは
難しいですね。
表現に「褒められたい」「認められたい」という欲求が
混じるのは、自然なことです。
舞台に立つのですから、
誰かに聴いてもらいたい、と思います。
聴かれる以上、反応が気になります。
拍手されたい。
良かったと言われたい。
選ばれたい。
評価されたい。
当然のことですよね。
問題は、その欲求があることではなく、
その欲求が演奏の主人になってしまうことです。
褒められたい気持ちが強くなると、
演奏は少しずつ外側に向きます。
「この音は本当に必要か」ではなく、
「この音で感動させられるか」
「このフレーズはどこへ行きたいか」ではなく、
「ここで自分のうまさが伝わるか」
「この作品は何を語っているか」ではなく、
「私はどう見えるか」
そうすると、
演奏は作品から離れていきます。
褒められたい気持ちが強い演奏ほど、
聴いているのがしんどくなります。
「どう? いいでしょう?」という圧が出るからです。
演奏している方は気持ちいいけれど
聴いているのはつらいです。
それは大きな音や
派手な表現だけではありません。
繊細さで褒められたい、
深さで認められたい、
知的に見られたい、
清らかに見られたい、
控えめな人だと思われたい、
という形でも出ます。
人間ってなかなかめんどくさいねえ。。。
作品が私に何を要求しているのか
表現したい、という言葉を
置き換えてみるのも
ヒントになるような気がします。
表現したい
→ 作品の中で起きていることをあらわにしたい
→ 自分の耳と身体を通して、作品に必要なものを通したい
→ 作品が持っている力を邪魔せず届かせたい
「私が何をしたいか」から、
「作品が何を必要としているか」ということでしょうか。
これは自分が
なくなるわけではありません。
むしろ、自分の耳、自分の呼吸、
自分の判断力、自分の倫理感が
必要になります。
作品が要求しているものを、
演奏者が引き受けるのです。
作品の通り道になることとでも
いいましょうか、
その通り道の質が、
その人の個性です。
未熟な自己表現は、
「私の感情を作品に乗せる」ですが
成熟した演奏表現は、
「作品の中で起きていることを、
自分の身体と感受性を通す」です。
作品があって初めて
応答ができるのですから。
役になり切る、って
具体的に何を指しますか。


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